「不老化処置を受けた国民は処置後百年を以て生存権をはじめとする基本的人権はこれを全て放棄しなければならない」。本書はこんな記述で始まります。

不老化処置が現実となったフィクション世界において、人々は老化しなくなり、大きな病気・外傷が無ければ死ななくなった。人が死なない社会に様々な問題が出現したため、不老化処置後、処置を受けた年齢の外見、つまり健康な肉体のままで百年の月日が経つと安楽死を強制する法律が施行される。

この物語で語られている様々な社会問題は、今後の日本社会を見ているようです。寿命を迎え死んでいくことは、経済の新陳代謝を促し、子供たちの未来を邪魔しないことなのでしょう。では、私達はどうやって死の恐怖を受け入れたら良いのでしょうか?。

ネズミを使った以下の実験は、新陳代謝が停滞した社会の末路を示しています。引きこもり、LGBT、児童虐待など、この実験で見られた多くの事象が現代社会に起こっていることに共感しました。  

死ぬということ

義父はホスピスで死を迎えました。「ジイジ、死ぬのは怖い?」と義父に尋ねたら、「死ぬことは怖くねぇが、親しい人に会えないのが寂しいな。」という答えが帰ってきました。

義父は「死んだら何もねぇ。死をおそがい(怖い)と思うのは、今 生きとるからや。胎児の頃や夢を見んで寝とる状態は、死んどる状態と大きな違いは無いやろ。みんな、死というものを体験しとるんや。」と言っていました。

つまり、死は体験済みであり、死によって親しい人と会えなくなるなどの可能性が奪われることが、死を怖く感じる理由ではないでしょうか。本書でも同じような毎日を暮らしている人が安楽死を迫られると豹変するシーンが描かれていました。

安楽死を迫られた人は、今後の可能性が奪われることに恐怖しているのでしょう。実際に死ぬ前に後悔したことに「やりたいことをやらなかったこと」「合いたい人に合わなかったこと」を挙げる人が多いと聞きます。これは死により実行の可能性が奪われることだからでしょう。

それなら、やりたいことリストを作成して、やりたいと強く思うことを実行することは、死への恐怖を和らげる効果があるのではないかと思いました。老後の準備として、やりたいことリストを作り、着実に実施していきたいと強く思いました。